空には夢、海にはロマン、陸には生活が・・・・・・・
by lemonhart (^_^)
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鹿児島空港
2005年 05月 29日
今では、年間600万人以上の利用客のある鹿児島空港も太平洋戦争中は、海軍の特攻基地でした。十三塚原飛行場(正式には、海軍航空隊 第二国分基地)と言っていたそうです。祖父が十三塚原飛行場の建設に行ったとのことで、子供の頃当時の話しをよく聞きました。
鹿児島市内の鴨池から、昭和47年(1947年)に移転して30年以上経ちますが、オープン当時は、国内線は全日空と東亜国内航空がB-727、B-737、YS-11で日本航空はDC-8で国際線の香港便を運行していました。東亜国内航空(TDA)もJAS-->JALとなり今は昔になりました。全日空の尾翼のマークも今は見ることのなくなったダビンチマークでした。 (写真)開港間もない、昭和47年8月の鹿児島空港
by take3e
| 2005-05-29 22:19
| 飛行機
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