夢とロマンと生活の日々
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空には夢、海にはロマン、陸には生活が・・・・・・・

by lemonhart (^_^)

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島津雨
鹿児島は朝からぐずついた天気で傘を持っての出勤、夕方からは雨もポツポツ落ちてきて夜には雨となってしまいました。結局、今日気象庁から九州南部は梅雨入りしたと見られるとの発表がありました。去年より6日遅く、平年より3日遅い梅雨入りです。梅雨明けは平年は7月13日頃ですから、これから1ヶ月ほどは空模様が気になる生活となります。

ところで梅雨の季節の雨について鹿児島には「島津雨」なる言葉があります。普通はお祝い事や神事においては、天気が良いと「本日はお日柄も良く、天気にも恵まれ・・・・云々」となりますが、鹿児島では結婚式などで当日が雨の場合でも「外はあいにくの雨ではありますが、鹿児島においてお祝い事に雨は、『島津雨』と申しまして吉兆の印でございます・・・云々」となります。これは、鹿児島・島津家の初代当主忠久の誕生に由来します。

鹿児島を治めた大名島津家の初代藩主忠久は、源頼朝と丹後局の子と言われています(伝説半分、真意の程は??ですが)。丹後局が頼朝の子供を身ごもったことに怒った頼朝の正妻政子は、丹後局を追放します。追放された丹後局は摂津の国住吉、今の大阪の住吉大社の境内で男の子を産みます。この男の子が後の忠久で、出産の時に雨が降っていたとのことで、雨は吉兆の印であり、「島津雨」の由来となっています。丹後局の子として生まれた男子は、丹後局の再婚先である惟宗家で育てられ「惟宗忠久」と名乗っていました。
その惟宗忠久が、地頭職に任ぜられたのが現在の日向・大隅・薩摩地方で島津荘と呼ばれていました。島津忠久の島津はこの島津荘に由来します。初代忠久は、島津荘の地頭であっても1度も鹿児島には赴かなかったそうです。墓も鎌倉にあります。
また島津家の先祖が京都であることは、現在も鹿児島弁に残っています。豆腐のことを鹿児島では「おかべ」とよびます。これも宮中言葉からきているようです。

梅雨入りでこれからしばらくは付き合うことになる雨も、吉兆の印の「島津雨」なら大歓迎ですね。「島津雨」いっぱい体験したいものです。
by take3e | 2007-06-01 23:16 | 思うこと