夢とロマンと生活の日々
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空には夢、海にはロマン、陸には生活が・・・・・・・

by lemonhart (^_^)

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30年前の「飛燕」
現在、鹿児島県の「知覧特攻平和会館」に展示してある「飛燕(川崎キ61・三式戦闘機)」の30年前の写真です。1976年(昭和51年)入間基地で開催された国際航空宇宙ショーに展示されていました。
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「飛燕」は、国産旅客機YS-11の基本設計を行なった「5人のサムライ」の一人川崎航空機の土井武夫の代表作、唯一実用化された液冷エンジン搭載の戦闘機です。ただエンジンの故障が多く稼働率が低く、生産機数に比べて成果も少なく評価は分かれるところです。終戦間際には、エンジン生産の遅れで首なし「飛燕」が工場に何百台も並ぶこととなり、エンジンを液冷から空冷に換えた戦闘機として「五式戦闘機」が開発されました。「五式戦闘機」は、飛燕や疾風(四式戦闘機)を上まわる性能の戦闘機でしたが、時既に遅く敗戦を迎えてしまいました。

ところで、知覧に展示されている「飛燕」は、終戦時に破壊を免れた唯一生き残りです。戦前、多摩飛行場(今の横田基地)に陸軍航空審査本部があり、そこの所属飛行機であったといわれています、終戦時にアメリカに接収された飛行機は一部米国で送られた以外は全て破壊されましたが、この飛燕はかろうじて生き残って横田基地に展示してありました。
その後、米軍から日本航空協会へ譲渡されて航空自衛隊岐阜基地に保管しながら、全国の各種イベントへの展示が行なわれていました。 そして、今から20年前の1986年1月に、日本航空協会からの貸与ということで「知覧特攻平和会館」に展示、現在にいたってます。

それにしても、今展示してある「飛燕」は、首都防衛の244戦隊のケバケバしいマーキングとなっていて、とても知覧基地から飛び立ったであろう特攻機の姿とはデザインは別物ですね。
未来には夢があるように、過去には「歴史とロマン」あります、過去を知るのも楽しいものです。
by take3e | 2006-06-28 23:12 | 飛行機